成城トランスカレッジのchikiさんから応答していただきました。chikiさんありがとうございます。
で、下記の八木氏の発言についてなんですが、
やはり
これまで八木さんが「少年非行の増加」や「援助交際」はゆとり教育のせいとか、若者夫婦のセックスレスは「男女混合体育」のせいとか、いじめは日教組教育のせい&ゆとり教育で暇なせいとか散々言ってきたのは、基本法を変えたいための意識的なアジだったという発言にとれると思うんですよね
とまではいえないのではないかというのがわたしの印象です。よまれた方はどう思われているんでしょうね?
chiki さんのエントリーで非常に興味深いのは後段のライフスタイルについての箇所です。シニシズムという時代感覚についての『シニカル理性批判』ペーター・スロータダイク−北田暁大的な指摘もさることながら、ポスト・モダンと新保守主義を「ライフスタイル」の問題として捉えられたところがやはり秀逸です。
前回の私のエントリーが「啓蒙のイロニーからイロニーの啓蒙へ」であったことからもお分かりになられたかもいらっしゃるかもしれませんが、私の念頭には『啓蒙のイロニー―ハーバーマスをめぐる論争史』矢代梓(未来社)がありました。
chiki さんもご指摘の通り、ポスト・モダンと新保守主義というのは同じひとつのコインの裏表の関係にあります。「敗戦国」であるばかりか「戦争犯罪」を犯したとして裁かれながら、冷戦体制化で「西側」に組み込まれることで、驚異的な戦後復興を遂げたドイツと日本では各々独特のハイアスが掛かっているといえます。
ポストモダンと新保守主義という点に関しては『批判感覚の再生―ポストモダン保守の呪縛に抗して』藤本一勇(白澤社)があり、日本とドイツ両国の比較という意味では、スローターダイクの翻訳者でもある仲正昌樹に『日本とドイツ 二つの全体主義』『日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く』(光文社新書)、最近出された『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス)がありますね。
「国民のための新しい教科書」という「運動」もあらためてそうした枠組みの中で捉えなおされる時が意外に早くやってくるのかもしれませんね*1。