河村書店

人文系イベント紹介サイト

ICPC 開催概要

佐藤優の集中ゼミ
ハーバーマスの「公共性の構造転換」 *市民的公共性の構造 *公共性の政治的機能

■講師  佐藤優
■主催 フォーラム神保
ユルゲン・ハーバーマス(Juergen Habermas, 1929-)は、フランクフルト学派第二世代の傑出した社会哲学者です。ハーバーマスは幅広い知識を深くもつ教養人で、その問題意識はきわめて多岐にわたっています。インテリジェンス、政治、経済などのついて論じるときにハーバーマスの社会哲学を踏まえておくと、通常の観察では見えない「何か」が見えるようになります。

今回は、初期ハーバーマスの主著で、きわめて難解な『公共性の構造転換』の読み解きに挑みます。

テロル、クーデター型の「世直し」運動が、国家の暴力性を強化する結果に終わることをハーバーマスの読み解きを通じて明らかにします。

ハーバーマスの読み解きにあたっては、ドイツ観念論の術語がネックになるのですが、そこを克服すれば、それほど苦労することなく読み進めることができます。

レベルは大学院博士課程前期(修士課程)のゼミ程度としますが、学部生にも理解できるように配慮します。編集者にとっても意味がある内容にします。

日時 テーマ
第1回 12月7日(日) 10:00〜13:00 *市民的公共性の構造
第2回 12月7日(日) 14:00〜17:00 *公共性の政治的機能

【定員】 15名
【受講条件】 受講条件は、以下の通りです。

1.メディア関係者
2.大学生、大学院生
3.1.2.以外の方で、このテーマについて強い関心をもつ者
4.講義で用いるテキストを読む意思がある者

 なお、受講者の受付はお申し込み順とさせていただきますが、定員を超えた場合は、職能会員(会費をお振り込みいただいた方)を優先させていただきます。
 お申し込みいただいた方には、メールにて結果をご通知致します。
【申し込み】  受講希望者は、それぞれ、希望する回毎にお申し込み下さい。
 テーマは毎回変わりますので、全講座をお申し込みいただいても、講座毎にお申し込みいただいても、どちらでも結構です。
【テキスト】 (1) ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究』未来社、1994年(第二版)。1973年刊行の第一版でも構いません。

(2)『岩波小辞典 哲学』岩波書店、1979年もしくは『岩波哲学・思想事典』岩波書店1998年。後者は高価(1万4700円)であるが、大学生・院生は是非購入して手許に置いて欲しい。決して損をしたと思うことにはならない。前者の定価は1470円であるが、古本屋では500円程度で購入できる。コンパクトにまとまったよい辞典だが、現代思想に関する項目が弱い。
【会場】 千代田区神田神保町3−1−6日建ビル9階(専大前交差点角)
【アクセス】 地下鉄の都営新宿線三田線 営団半蔵門線で《神保町駅》下車、A1出口を出ると「専大前」の交差点になります。
その横断歩道を渡って、交差点角の城南信金庫隣りのビル。徒歩1分。
1階が喫茶店「珈琲館」で、その脇に階段があり、エレベーターで9階へ。
駐車場はございません。
http://www.forum-j.com/bana023.html

21世紀社会デザイン研究科主催公開講演会
戦争をどう裁くか − 裁きと許し

日時 2008年12月7日(日)15:30〜21:00
場所 池袋キャンパス7号館 7102教室
講師 立花 隆 (21世紀社会デザイン研究科教授)
野中 章弘 (21世紀社会デザイン研究科教授)
高橋 哲哉 氏(東京大学大学院教授)
【モデレーター】北山 晴一 (21世紀社会デザイン研究科教授)
対象者 21世紀社会デザイン研究科学生、本学学生、教職員、校友、一般
内容 NHK番組ETV2001 4回シリーズの番組『戦争をどう裁くか』を見て,同番組が問いかけ、戦争を裁くことの難しさと裁きの後の許しをいかに見つけ出していくことができるかという重い問いかけについて皆で考える。
20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀においても戦争は全人類にとって大きな問題であり続ける。
戦争がおわったあとに、戦争の裁きの問題と、裁きのあとの許しの問題が押し寄せてくる。これは21世紀社会をデザインしていく上での最大の課題のひとつである。
受講料 無料
申込 不要
主催 21世紀社会デザイン研究科
共催 21世紀社会デザイン研究学会
問合せ先 独立研究科事務室
TEL:03−3985−4530
404 Not Found | 立教大学

「夜のファンタジートークゲスト 宮台真司
イメージフォーラムシネマテーク
作家研究連続講座vol.3ー工藤里沙
「夜のファンタジー
12/5(金)6(土)7(日)13(土)14(日)

トークゲスト決定!小林エリカ(漫画家、小説家)+蔭山周(映像作家)<12/5 7:30の回終了後>
本多力(俳優「ヨーロッパ企画」)<12/6 7:30の回終了後>
松本俊夫(映像作家)<12/7 2:00の回終了後>
宮台真司社会学者)<12/13 7:30の回終了後>

「戻るひと、戻らないひと、戻れないひと、たましいのうねり」
イメージフォーラム・フェスティバル2002に入賞した工藤里沙作品『ダガガダ』の冒頭にあらわれるテクストは、工藤里沙の一連の映画作品のトーンを端的に表現している。この世ともあの世ともつかない世界から迷い込んだ人物、この世と接続しないままを生きる人物、そもそもこの世の新参者である子供たち(いつもぴかぴかに仕立てた服を着ていることに注目)による、生産性や実益とは切り離されたふわふわとした物語。
工藤本人はそれを「夜のファンタジー」と名付けた。思うにファンタジーはファンシーと似ているようで少し異なる。ファンシーは(日本では)装飾的で少女趣味的な、狭義のカワイイを体現する言葉で、工藤作品を彷彿させる節もあるが、やはりファンタジーが相応しい。なぜか。2つの語の違いは実益の有無にある。言い換えれば、ファンタジーが描くのは「はっきり見えるあちら側」「安心して実用に足る幻想」ではなくて、「こちら側の弱さ、あやうさ」であり工藤作品の登場人物もまた壊れやすさを体現している。そんな弱さの構成員たちを工藤は物語的に回収せずに放し飼いにしてしまう。
工藤のビデオは危険だ。プロの世界で身につけた複雑な合成エフェクトや、一見ありがちなノスタルジー世界につられて、安心して見ていられるファンシーな作品かと思いきや、その危うさにつられてうっかり自らの弱さも引き出される奇妙なうねりが現れ、戻れないひとにされる。(澤隆志)

TALK: 1207考えること、見ること、見せることの特殊なモードとしてのアートキュレーション
Art Curation as a Specific Mode of Thinking, Seeing and Showing

<ゲスト>
ロディオン・トロフィムチェンコ(キュレーター/武蔵野美術大学博士課程)
<モデレーター>
鈴木佑也(東京外国語大学大学院地域研究課博士後期課程)

■最も陳腐な定義から始めよう。「キュレーターとはアーティストの作品をアートが好きな人に見せる者である」。しかし、この言い方に限っても、キュレーターの立場、そしてキュレーターの行為の複雑性を気づきやすいだろう。つまりキュレーターの中間的立場、作家の矛盾を内包した思考を提示する知性的な意図、観客の強烈な観察に対する用意周到なかかわり方などが明らかである。キュレーターは視覚欲動と欲望の十字砲火に晒されている。この例をとってみても、キュレーターは極度に自意識を強く持つ(または持つべき)者でもある、と気づくには十分であろう。このことを精神分析学の表現様式を借りれば、「私はアート展覧会のキュレーションを行う時、そこで私は何をするのか?」と繰り返し自問する者である。
■今回は、今日の展覧会で見られる問題分析から始めよう。それは、幾つかの呪術化されたフレーズの分析、つまり「入りにくい展覧会」や「作品そのまま」というキュレーターの舞台裏で耳にするフレーズの分析である。これらのフレーズから生じる妄想とその誤った基盤を明らかにする。続いて、展覧会に伴う題とファッション・ブランドの極めて近い類似点を前面的にうち出すため、この二つを比較することにしよう。さらに、今日のキュレーションで見られる、数多くある実証主義の様々な残滓、たとえば年代順別作品展示や外科室のように、作品に照明を当てるということなどを例示してみる。
■いま挙げた常套手段を克服するため、第一に「作品を見せる―作品を知覚する」というステージにおける、キュレーターのトポロジーを再考する。まず、アートそれ自体は何か見るということなのか(虫ピンで留められ、科学的に分類されたチョウを私達が見ているようなことなのか)、あるいはアートは鑑賞者を把握し、決定不可能な逆説によって観客に影響を与え、観客を観る何かなのではないか? 後者に賛同するならば、キュレーターはアート作品の「眼差し効果」、鑑賞者の脱中心的な位置を保護することになる。つまり、鑑賞者がアートワークを見ている時に、アートワークは鑑賞者を観ているとういうことである。第二に、展示空間が持つ可能性を理解するために、二つの認識論的に異なるアート・スペースを比較してみよう。つまり「物語的な連続の軸」を伴う空間である国立エルミタージュ美術館サンクトペテルブルグ)と、「共時的かつ分裂的な空間」を伴うグッゲンハイム美術館ビルバオ)を比較する。空間自体が主張するモンタージュという様式に依拠したアートワークの根本的な違いを示すことで、「内省的なアート・スペース」の可能性を照明してみよう。換言すれば、展示会場自体を「思考する装置」として想像してみる。第三に、反復される巨大な回顧展を克服する上で、繊細な「分析的なカット」について考えてみよう。「分析的なカット」というアプローチは作家活動の「切断面」を明らかにし、作家が有する把握不可能かつ歴史的な全体的複合体を見せようとせずに、何よりもまず一定の視点に注意を払っているのである。最後に、キュレーターの本について話す。展覧会カタログを「夢解釈の本」として想像してみよう。つまりイメージが言葉と出会い、思考不可能なことが意識と出会う場という本としてである。謎は思想を引き起こす本なのである。

国立エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルグ、最初の建物(「小エルミタージュ」)は1769年に建設された、一階展示場の構造

グッゲンハイム美術館ビルバオ、1999年開始、一階展示場の構造

キュレーションの基本に関するこの談義では、幾つかの展覧会の例を取り上げる。特に注目するのは「ダヴィド・スミス 1933‐1964 彫刻」(ポンピドゥー・ センター, キュレーター:イザヴェール・モノ=フォンテーヌ、ベネディクト・ アヤク、2005年、パリ)であり、この展覧会は年代順陳列と「記述的な」作品の陳列を織り交ぜることで、彼のアートが持つ複数の物語を提示している。そして、フロイトの夢博物館のダーク・ルーム(設立者:ヴィクトル・マージン、 1999年開始、サンクト・ペテルブルク)にある展覧会。この展覧会の狙いは、分析された夢だけでなく、夢を再生させようとし、観客を夢作用に誘おうとするものであった。最後に、ムネモシュネー(1929年まで、アヴィ・ ヴァールブルクによって制作されていた未完のプロジェクト、1994年ヴィーンで再構成された)について考える。それは形象の意味よりも、形象の相互関係に着目した展示なのである。

「ムネモシュネー・アトラス」、レンブラント展のボード、キュレーター:アビ・ヴァールブルグ、1926年

日時:2008年12月7日(日)19:00〜21:00
会場:Otto Mainzheim Gallery
定員:30人(予約制) 参加費:1,000 円(1ドリンク付)
※使用言語:日本語

【 プロフィール 】
ロディオン・トロフィムチェンコ|Rodion Trofimchenko
ソ連生まれ。サンクト・ペテルブルグの工学経済大学(経営学専攻)と東欧精神分析専門学校を卒業。2004年から2005年まで日本の流通経済大学で「日本広告の心理的な特徴」の研究に従事。武蔵野美術大学にて修士号取得(テーマ:「芸術と精神分析における媒体の働きと意味」)。現在、博士課程で精神分析と芸術における視覚をめぐる問題の研究を続ける。
<論文>
『消息の形象』、『喪失に支えられるイメージ。ジョルジュ・ディディ=ユベルマンジャック・ラカンの理論における「見ること」の分裂』、『開いた美。日本の現代屏風』、『ネクロレアリズム』等。
<企画>
「ヤング、アグレッシヴ」展、『砂男』セミナー・パフォーマンス、「視覚の設定 日本実験映像作家飯村隆彦のアート・ツー」、「Under ConstRussia」展など。
鈴木佑也|Yuya Suzuki
1980年生まれ。東京外国語大学大学院地域研究課博士後期課程在籍。専攻はロシア・ソヴィエト建築史、空間造形史。現在は1930年代のソ連を舞台に紙上の建築と展覧会に潜む文化概念と政治力学の研究に従事。MUSEUM OF TRAVELのメンバー、TABlogライター(Tokyo Art Beat)。2007年10月から2008年8月までロシア人文大学に留学。「バレエ・リュスとピカソ 変革期における両者の交わり」(『ユリイカ』2008年11月号)、「世界建築レポート[7]The Old and New: Mosaic City, Moscow──モザイクとして彩られた都市モスクワ」(10+1)、「モスクワ国際建築ヴィエンナーレ」レポート(建築文化シナジー)なども寄稿。
CAMP: TALK: 1207

日本ラカン協会第8回大会 〈 日本精神分析をめぐって 〉
日時:2008年12月7日(日) 場所:専修大学神田校舎7号館731教室(3F)
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8)
交通: 営団地下鉄神保町駅 徒歩3分
大会参加費 : 無料
シンポジウム 午後2時〜5時30分 〈 日本精神分析をめぐって 〉
提題者:柄谷行人 (文芸評論家・思想家) 日本精神分析再考
提題者:若森栄樹 (独協大学)日本における精神分析の可能性と不可能性
提題者:石澤誠一 (大阪府立大学)阿闍世=親鸞 vs. オイディプス=フロイト――精神分析学的知見と近代日本文化

ICPC 開催概要
日時:2008年12月6日(土)~ 12月7日(日)
会場:VISONセンター(秋葉原 昌平橋近く)
※部屋は原則として一人部屋です。

参加費:
宿泊の場合:15,000円(BOFのお酒、おつまみの差し入れは大歓迎です!!!) 宿泊先:住庄ほてる(人形町
当日のみの場合:5,000円(6日の17時以降~7日も参加される方は、夕食と宿泊施設の都合により宿泊扱いとさせて下さい。)

申込み:sanka20081206[at]icpc.gr.jpまで、(1)お名前、(2)ご所属、(3)ご連絡先メール(4)宿泊の有無をお知らせください。

プログラム(スピーカは調整中です)

12月6日(土)
12:00~14:00(昼食は済ませてご参加下さい。)
コーディネーター:楠正憲(マイクロソフト
ネット規制、違法有害、Blocking、Child Safety
14:30~16:30
コーディネーター:庄司昌彦国際大学GLOCOM)
Identity-Privacy、Google Street View、LifeLog、プライバシー情報流通、医療情報流通、Open-ID / DataPortability
BOF 20:00~22:00
~金融恐慌は通信産業の未来にどう影を落とすのか、モバイルビジネス研究会は官製不況をを生んだのか(政策目標ってなあに?)、融合法制の行方、通信の秘密、法の属地主義
12月7日(日)
9:30~12:00(住庄ほてるにて)
コーディネーター:福島直央(三菱総合研究所
テレビ関連の一連の議論、post B-CAS、IPTV、white space、コンテンツ政策著作権の再設計、ネット権

お問合せ ICPCに関するお問合せは下記までご連絡ください。
ICPCプログラム委員会 query(at)icpc.gr.jp

ICPC - 情報通信政策研究会議