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アジア映画で〈世界〉を見る

星野太氏レクチャー「媒介の擁護」
講演者:星野太氏(美学/表象文化論
開催日時:1月26日14:00-15:30(質疑応答含む)


開催場所:東京芸術大学上野校地 中央棟第二講義室


メディウム/メディア。同じ単語の単数/複数形に相当するこの言葉は、第一に「中間的なもの」(=「媒介」)を意味する。したがって、もっとも広い意味で理解するなら、それは私たちのあらゆる経験を基礎づけるひとつの条件であると言えるだろう。何らかの「中間的なもの」に媒介されてない経験など、虚構のなかにしか存在しない。それゆえ、いかなる種類のものであれ、私たちが「経験」と呼ぶものは、すべて何らかの「メディウム(メディア)」によって媒介されている。
とはいえ周知のように、従来これらの言葉にかけられてきた歴史的な負荷は、私たちがそのような単純な思考の形式にとどまることを不可能にする。つまり過去の二つの世紀において、一方の「メディウム」は諸芸術における固有の形式として、他方の「メディア」は新たな情報伝達のための装置として、それぞれ固有の意味を与えられてきたのであり、本来ひとつであった両者の含意は、いまやまったく異なる方向へと分裂している。しかし、メディウム/メディアをこのような意味で(のみ)理解するとき、それらの言葉がもっていたはずの核心的な争点は必然的に見失われていくことになるだろう。
その争点とは次のようなものだ。すなわち、メディウム/メディアは、直接的=無−媒介的(im-mediate)であろうとする衝動への抵抗として機能する。媒介の機能とは、何よりもこの「抵抗」を生じさせることであり、おそらくそれだけが、なめらかな見かけのうちに亀裂や切断を導き入れることを可能にする。その意味で、メディウム/メディアと呼ばれる存在に賭けられているのは、統合された偽りの全体性に亀裂を入れ、さらには個々のメディウムの内部にまで異質な切断面を見いだしていくことにほかならない。
さしあたり目下の状況から出発しつつ、以上の見通しをより具体的に展開するために必要な作業をいくつか挙げるとすれば、それは次のようなものになるだろう。第一に、二〇/二一世紀の芸術における「無媒介的なもの」への衝動と、それに対する抵抗の断面を切り出していくこと。第二に、それを一九/二〇世紀のヨーロッパにおける同じ衝動/抵抗の反復として考えてみること。第三に、「制作」や「作品」と呼ばれるものそれじたいを、以上のような意味での「メディウム/メディア」として練り上げること――以上が、ここで提示しうる最小限のプログラムとなるだろう。

星野 太(HOSHINO Futoshi)
1983年生まれ。美学/表象文化論東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。現在、東京大学・共生のための国際哲学研究センター(UTCP)特任助教。著書=『奥村雄樹――ジュン・ヤン』(美学出版、2013年)、編著=『拡張される網膜』(BAMBA BOOKS、2012年)、共著=『コンテンポラリー・アート・セオリー』(筒井宏樹編、イオスアートブックス、2013年)、『欧米のモダニズムとその後の運動(近現代の芸術史 造形篇Ⅰ)』(林洋子編、幻冬舎、2013年)、『ラッセンとは何だったのか?』(原田裕規編、フィルムアート社、2013年)、『人文学と制度』(西山雄二編、未來社、2013年)、『KAWADE道の手帖 大杉栄』(河出書房新社、2012年)、共訳書=ジェフリー・スコット『人間主義の建築』(鹿島出版会、2011年)、エイドリアン・フォーティ『言葉と建築』(鹿島出版会、2006年)、その他の翻訳=クレア・ビショップ「敵対と関係性の美学」、ハル・フォスター「民族誌家としてのアーティスト」(共訳)、ダニエル・ヘラー=ローゼン「万人の敵」(共訳)など。


http://www.sentan2014.jp/

1/26(日)相馬D登壇 シンポジウムのお知らせ】
早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点の主催によるシンポジウム「震災後の芸術と環境、東北の未来」第二部にて、F/Tプログラム・ディレクター相馬千秋が登壇いたします。


【開催概要】
日時:2014年1月26日(日)15時〜18時
会場:早稲田大学文学部33号館3階第1会議室
参加費:無料・要事前予約
大学休日の開催となるために事前のご登録が必要となります。お名前・ご職業(ご所属)・当日連絡先を明記の上、waseda2014symposium@gmail.comまでお申し込みください。
主催:早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点
   テーマ研究「舞台芸術 創造とその環境 日本/世界」


震災から3年が経とうとしています。この3年間、被災地と向き合う様々な文化事業やアートプロジェクトが実施され、またそれを支える仕組も徐々に整えられてきたように見えます。緊急の救済や応援から長期的な心の復興へと支援のニーズがシフトする中で、芸術文化は今後、震災という巨大な亀裂を体験した東北において、どのような役割を担いうるのでしょうか? またそのためには何が必要なのでしょうか? 本シンポジウムは、こうした大きな問いに対して、芸術の創造と環境という切り口から現状や課題を考察し、未来へのビジョンを探る機会とします。


第一部 :基調講演
赤坂憲雄民俗学者学習院大学教授、福島県立博物館館長)
第二部 :報告とコメント
五十嵐太郎東北大学教授、前あいちトリエンナーレ芸術監督)
・相馬千秋(フェスティバル/トーキョー プログラム・ディレクター)
第三部:パネル・ディスカッション「震災後の芸術と環境、東北の未来」


↓詳細はこちらをご覧下さい
https://www.facebook.com/dramaturgwaseda/posts/1384382678450863?stream_ref=10

1月26日(日)
魯迅の言葉』ができるまで(仮)
原研哉(グラフィックデザイナー)×下中美都(平凡社

会場 : 印刷博物館グーテンベルクルーム(地階)
時間 : 15:00-16:30(終了時間は予定です)
料金 : 無料(印刷博物館本展示場にご入場の際は入場料が必要です)
定員 : 80名
備考 : 2013/11/12(火)10:00〜 募集開始


講演会申込:「世界のブックデザイン2012-13」

01/26 SUN
堂園昌彦×文月悠光
「短歌と詩が交わる午後」
『やがて秋茄子へと到る』
(港の人)刊行記念

『やがて秋茄子へと到る』(港の人)は、新鋭歌人、堂園昌彦さんの第1歌集。歌人が19歳から29歳までに歌った195首を収めたこの歌集では、日常のなかにひそむ美しさが静かに歌われ、その繊細な美しさが、刊行直後からさまざまな反響を呼んでいます。
本歌集の刊行を記念して、著者の堂園昌彦さんと、詩人の文月悠光さんとのトークイベントを開催します。
文月悠光さんは、2010年、最年少で中原中也賞を受賞した詩人です。詩というジャンルにとらわれず、幅広いジャンルで言葉を用いた活動を積極的に行っています。
いま最も人気のふたりの歌人・詩人をお招きし、『やがて秋茄子へと到る』という歌集の魅力や短歌のおもしろさについてじっくりと語っていただきます。おふたりによる朗読コラボレーションもどうぞお楽しみに。


堂園昌彦(どうぞの・まさひこ)
1983年、東京生まれ。2003年「コスモス」「早稲田短歌会」入会。2007年「やがて秋茄子へと到る」30首で短歌研究新人賞最終候補。2008年「pool」参加。2013年9月、第1詩集『やがて秋茄子へと到る』(港の人)を刊行。現在、「pool」所属、「ガルマン歌会」運営。

文月悠光(ふづき・ゆみ)
1991年、北海道札幌市生まれ。2010年、第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で第15回中原中也賞を受賞。同年、第19回丸山豊記念現代詩賞を受賞。2013年8月、第2詩集『屋根よりも深々と』(思潮社)を刊行。現在、早稲田大学教育学部に在学中。



出演 _
堂園昌彦(歌人
文月悠光(詩人)
開催日時 _ 15:00〜17:00 (14:30開場)
場所 _ 本屋B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
入場料 _ 1500yen + 1 drink order


http://bookandbeer.com/blog/event/20140126_akinasu/

01/26 SUN
片岡義男×大竹昭子×川粼大助
「BETWEEN カメラand 万年筆」
片岡義男写真集『私は写真機』発売記念〜
写真から言葉が生まれる、のか? 
言葉にならぬものを撮る、のか? 

かたや、最新の「ブツ撮り」写真集『私は写真機』を完成させたばかりの片岡義男さん。
そしてかたや、名作写真集『NY1980』の著者でもある大竹昭子さん。
作家にして「撮る人」でもある2人のトーク・セッションを開催します。

「撮りながら考えたことが言葉に影響する」というおふたりにとって、かつてフランス人が言ったように「カメラ=万年筆」なのか? 
「現実」を光学的にとらえることと、言葉のみで「現実らしきもの」を構築していくことの関係性とは?

東京という都市の「現実」と、そこから生まれ得る「芸術」とのあいだに橋を架けること――このことの意味を誰よりも深く考察し続ける2人、片岡義男さんと大竹昭子さん。

そして両巨匠のあいだに立って行司を務めるのは、新進作家の川粼大助さん。
写真家・片岡義男さんの前作『この夢の出来ばえ』の編集・デザインを担当し、全写真をレタッチした彼の立場からの突っ込みもご期待ください。

またぞろオリンピックに向けて、跡形もなく蹂躙されようとしている東京という街と関わりがあるあなたなら、まさにこの「破壊元年」ともいえる2014年の年頭にドントミスイットな対談でしょう!



出演 _ 片岡義男(作家・写真家)
大竹昭子(作家・写真家)
川粼大助(新進作家)
開催日時 _ 19:00〜21:00 (18:30開場)
場所 _ 本屋B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
入場料 _ 1500yen + 1 drink order


http://bookandbeer.com/blog/event/20140126_watashihasyashinki/


アジア映画で〈世界〉を見る――越境する映画、グローバルな文化

アジア映画で〈世界〉を見る――越境する映画、グローバルな文化

特集 アジア映画で〈世界〉を見る

2014年1月26日(日)・2月2日(日)
会場:映画美学校試写室

メコンホテル

石の賛美歌

THE DEPTHS

評論集「アジア映画で〈世界〉を見る 越境する映画、グローバルな文化」(作品社)刊行記念。重要作品の上映とトーク、講義、シンポジウムによる各プログラムから、アジア映画の境界線を多角的に探っていきます。

「アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化」(作品社刊)は、「映画」と現実の「世界」の関係性を問題にしている。ここでは、それをさらに発展させ、アジアで最も先鋭的な監督、アピチャッポン・ウィーラセタクンに関して、本書の執筆者二人が異なる視点からトークを行う。また本書のキーワードの一つである「政治性」という観点から、イスラエル映画史についての講義と、パレスチナ映画に関するトークを行い、対立する国家の映画表象から何が炙り出されるのかを探る。エドワード・ヤンのシンポジウムでは「過去の映画を読み直す」こと、また演劇批評家と映画監督という異種混合のセッションによる多角的な検討が、その全体像を豊かに照らし出すだろう。それらを統べる編者三人でのトークは、本書で行った様々な試みを検証する。それぞれが、アジア映画を通して「世界」を捉え直し切り拓く試みとなるはずだ。
夏目深雪(批評家)

■上映スケジュール
1月26日(日)
13:00-上映「メコンホテル」(61分)
 +トーク「アピチャッポンの亡霊(ファントム)」:福間健二、渡邉大輔
15:30-講義「徹底・即解 イスラエル映画史」:四方田犬彦
18:30-シンポジウム「エドワード・ヤン以前/以後」:筒井武文、森山直人、舩橋淳

■プログラム

メコンホテル

プログラム1
「アピチャッポンの亡霊(ファントム)」

上映:「メコンホテル」2012(61分)監督=アピチャッポン・ウィーラセタクン
トーク福間健二(詩人・映画作家)、渡邉大輔(映画批評家

メコンホテル』は物議を醸す、多面体のような映画である。アピチャッポン映画ではお馴染みの怪異について、本書で渡邉大輔氏はアジアを跋扈しながら緩く繋ぐ「亡霊」の一変種であると論じ、福間健二氏はそこに「アジアを超えたいアジア」を見出す。気鋭の映像論者と詩人・映画作家との語らいは、アピチャッポンについての新たな視座を拓くであろう。(夏目深雪)

プログラム2
「徹底・即解 イスラエル映画史」

講義:四方田犬彦(映画研究者)
※参考上映(抜粋):「さまよえるオデッド」(1932/監督=ハイム・ハラフミ)「月に空いた穴」(1965/監督=ウリ・ゾハール)■ビデオ上映/英語字幕付き・日本語字幕無し

いまイスラエル映画を観るとはどういうことか。四方田犬彦が、イスラエルの国家成立の根底にあるシオニズムがいかにスクリーンに表象されたかを検討する。パレスチナ時代の最初の劇映画『さまよえるオデッド』と、国家成立後にシオニズムを軽妙に風刺した『月に空いた穴』を部分上映し、イスラエル映画史を概括する。(四方田犬彦

プログラム3
エドワード・ヤン以前/以後」

シンポジウム:筒井武文映画作家)、森山直人(演劇批評家)、舩橋淳映画作家

死後も愛され続けるエドワード・ヤンの映画。本書では、「古典」「演劇」というキーワードで、演劇批評家の森山直人氏がヤンの映画に新たな光を当てている。今回は、筒井武文監督と、ヤンの映画作りに多大な影響を受けているという舩橋淳監督を迎え、初期から後期への主題や映像の変化を見ながら、ヤンが変えたのは一体何かを探る。(夏目深雪)


特集 アジア映画で〈世界〉を見る