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「反左翼という社会病理」

西部邁先生講演会「反左翼という社会病理」

「真正の保守」の誕生のために反左翼という思想は偏っている。
アメリカニズムという左翼に挑戦する態度こそ「真正の保守」である。
「真正の保守」について、評論家、思想家の西部邁先生が語ります。
 
西部邁 先生
西部邁主催・『表現者』塾 西部邁・『表現者』・『北の発言』・『発言者』
評論家、思想家、秀明大学学頭

 1939年、北海道生まれ。東京大学卒業後、横浜国大助教授、東大教授などを経て現在



秀明大学学頭。
 1994年の創刊から2005年の廃刊まで「発言者」の主幹、現在は「表現者」の顧問及び「北の発言」の責任編集を担当。
 ●TOKYO MX西部邁ゼミナール 〜戦後タブーをけっとばせ〜』
  毎週土曜日11時〜11時30分
 ●朝日ニュースター西部邁佐高信の学問のすゝめ』
  毎週土曜21時〜21時55分に出演中。
著書は『知性の構造』『虚無の構造』『わが憲法改正案』『核武装論 当たり前の話をしようではないか』『サンチョ・キホーテの旅』等90余冊(共著含む)。

【日 時】 平成22年1月23日(土) 18時10分〜20時10分(開場:17時45分)
【会 場】 文京区民センター 2−A会議室(文京シビックセンター向かい側)
  東京都文京区本郷4−15−14  03-3814-6731
  交通:東京メトロ丸の内線・南北線後楽園駅」徒歩1分
      都営三田線大江戸線春日駅」徒歩1分
公益財団法人 文京アカデミー
【参加費】 1000円 (事前申込の女性・学生500円)
【懇親会】 20時30分〜22時30分。
参加費:事前申込3500円 (事前申込の女性・学生3000円)
当日申込4000円 (当日申込の女性・学生3500円)
*会場の都合により、先着25名とさせて頂きます。
【申込先】 1月22日までにメールまたはFAXにて(当日受付も可)
   会場の定員が200名につき、先着順とさせて頂きます
当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方の入場は講演5分前とさせて頂きます★

【主 催】 士気の集い・青年部 千田宛て 士気の集い
TEL 090-3450-1951 FAX 03-5682-0018 E-mail:morale_meeting(at)yahoo.co.jp
【次回講演会予定】 2月20日(土)青木直人先生、
           3月6日(土) 濱口和久先生、3月21日(日)宗像隆幸先生
【次回勉強会予定】 2月27日(土)「家村中佐の兵法勉強会」
3月27日(土)昼か夜 「家村中佐の兵法勉強会」(予定)

実施日 2010/01/23(土)
開始時間 14時0分
件名 講演会〜希望格差社会
内容 講演会〜希望格差社会

日時:1月23日(土)午後2時〜4時
会場:筑波大学附属駒場中・高等学校
   (池尻4−7−1)

講師:山田昌弘中央大学教授)

申込方法
1月12日までに、インターネットでhttp://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/
抽選200人

世田谷区のイベント情報 | 講演会〜希望格差社会 【世田谷区総合ポータル】

〈1月例会のお知らせ〉

2010年1月23日(土)午後1時半より
慶應義塾大学 三田キャンパス  
研究室棟AB会議室

研究発表

死の生政治、あるいは自己の再公式化

講師:竹村和子お茶の水女子大学
司会:三浦玲一(一橋大学

<発表要旨>
 近代的な「暴力の配置」とは、とりもなおさず、近代的「人間」の生産であった。そしてそれを稼働させてきたのが、近代のバイオポリティクス(生政治)である。バイオポリティクスは、近代の「人間」を生産するために、人口管理つまりはジェンダーセクシュアリティにまつわる近代の規範化言説を発動してきた。近代的人間主体は、バイオポリティクスに則った性の非対称性のもとに、(男性的)市民モデルとして生産されてきた。つまり、男には「生得の属性」としての攻撃性を割り振り、その発露を、戦争する能力や資本拡大能力や性的活力として肯定し、他方で女には受動的な役割を割り振って、社会的にも、また私的・性的局面においても、男の攻撃性を補完する二義的役目を担わせた。けれどもフェミニズムの進展と、そのような性別化された暴力の配置に基づく近代家族・近代国家の枠組そのものの変容によって、従来の公式では説明が困難な暴力の行使が見られるようになってきている。近代の主体言説が、近代的な意味での「人間」を定義するものであったとすれば、現在、どのように「人間」は再定義されていくのか、人間と非人間を分かつ境界がどう引かれ直されるかの考察は、ジェンダーセクシュアリティ研究にとって焦眉の課題だと思われる。本発表では近年の人間言説を手がかりに、その糸口を辿っていきたい。

分科会

近代散文

ワークショップ――The Adventures of Tom Sawyerを読む

報告者:
辻秀雄(首都大学東京
齊藤弘平(青山学院大学・院)
田畠健太郎東京大学・院)
司会:石原剛(早稲田大学) 
<発表要旨>
 本企画は3名の若手研究者が集い、2010年に没後100周年を迎えるマーク・トウェインの代表作The Adventures of Tom Sawyer(1876年)への新たな読みを提言するワークショップである。敢えてトウェインを専門としない新進の研究者が同じ作品を読み、「スタイル」、「医療」、「動物(生物)」といった独自の切り口から、それぞれ以下の内容について議論を展開する。
 まず、辻氏の報告「The Adventures of Tom Sawyerの/とスタイル――主要登場人物たちの表象をめぐって」では、作中に登場する “style”という語の持つ意味合いに注目し、スタイル論をやや拡大的に用いながら、Prefaceや作品中の記述から、リアリズム作家トウェインの(特にトムとハックに関する)表象のスタイル、あるいは表象とスタイルの問題が検討される。
  また、齊藤氏の報告「Vigor and Illness 元気と病気――The Adventures of Tom Sawyerにおける子ども像形成のダイナミクス」では、「冒険」と「病気」――つまり「元気」と「脆弱」――が、エピソードとしても、文化的価値としても、一冊の児童向けテキスト内に難なく共立している事実に注目し、そのことが大人たちの目線から見るところの理想的なGood Bad Boyモデルの形成に大きく寄与しているのでは?という問いが提起される。
  さらに、田畠氏の報告、「The Adventures of Tom Sawyerの生態系――トウェインの描写」では、比較的安定した物語構成をしている同作品にこそトウェインの描写力に関わる諸問題がより見えやすい形で表れているという問題意識の下、小説前半にあらわれる(が、後半においては息をひそめる)昆虫をはじめとした生物たちへの執拗で過剰な描写に焦点を当てることで浮かび上がる論点が提示される。
  ワークショップという形態ならびに時間的制約のため、むしろ参加者に問いを投げかける形の報告になると思われる。フロアーからの積極的な発言やコメントをお願いしたい。 (文責 石原剛)

現代散文

“Someone else’s prison-bar”
――Richard Powers, Galatea2.2 (1995) における「子供」への欲望

宮永隆一朗 (一橋大学・院)

<発表要旨>
  2006年に第九作The Echo Maker (2006) によって全米図書賞を受賞したRichard Powers (1957, Illinois) は、脳科学・先端科学技術・経済学・そして批評理論などの百科事典的な知識と複雑なメタフィクション構造を美学的特徴とした、80年代以降のアメリカ・ポストモダニズムを代表する小説家の一人である。こうした美学的特徴は多くの批評家の指摘する通り作品の政治性と密接に結びついており、またその政治性とはCharles B. Harrisの述べるようにリベラル・ヒューマニストなそれに他ならない。他方、パワーズに関するほぼ唯一の専門書であるUnderstanding Richard Powers (2002) においてJoseph Deweyが述べるように、パワーズ作品は心/身、科学技術/芸術、情報/物質性、孤独/参与という弁証法的二項対立をその主題的な核に置く。Sharon Snyderが指摘するようにこの二項対立が明確にジェンダー化されている以上、彼の作品の(ヘテロ)セクシズムを見て取ることはむしろ容易である。しかし本発表で問題にしたいのは、こうした弁証法を「昇華」し、作品の美学的・政治的中心をなすものが、ほとんど常に「イノセントな子供」という形象に拠って来た点である。 本発表ではパワーズの代表作の一つであるGalatea2.2 (1995) を中心的に取り上げる。発表の目的の一つは、ジェンダー化された種々の二項対立(心/身、技術/芸術、情報/物質等々)の解消にあたり、テキストが「子供」をイノセントなものとして表象しそれに備給するという(ある意味ではきわめてアメリカ的な)言説装置に拠ることを明らかにすることである。また同時に、Vladimir Nabokov, Lolita (1955) を本作のメタナラティヴとして挿入することによって、こうした「イノセントな子供」への備給と作品の「リベラル」なヒューマニズムの連関性を検証することもその目的である。

ホイットマンの詩が空疎であるとき
――“finest verbalism”という視点から読む“Tears”

田代尚路 (東京大学・院、日本学術振興会DC)

<発表要旨>
 評論“A Word about Tennyson” (1887)において、ホイットマンテニスンが他のいかなる詩人よりも“finest verbalism”の可能性を示した点を指摘している。“finest verbalism”は「最も洗練された空疎な言葉」とでも訳すことができるだろうか。評論中ではこれをまた“a latent charm in mere words, cunning collocutions, and in the voice ringing them”とパラフレーズしている。つまり、テニスンの詩においては、言葉が空疎であるがゆえにこそかえって醸成される魅力が見られるということであり、それは例えば “The Passing of Arthur” (1869)中の“And hollow, hollow, hollow, all delight”といった一節に表れているという。メッセージ性の強い詩を書いたホイットマンにとっては意味の充満した詩的世界を構築することが喫緊の課題であったはずだから、“finest”と言って持ち上げておきつつも、評論そのものの主旨としてはテニスン風の“verbalism”とは距離を置いていると判断できる。ただし同時に、テニスンのケースが自分にとっての「戒め」であると述べている箇所もあり、ホイットマンの中にはテニスン風の空疎さの魅力に惹かれる部分もあったのだろうという推測も成り立つのではないだろうか。本発表では、ホイットマン詩学において意味の<空疎>と<充満>のあいだの揺れが顕在化した作品として“Tears”(1867)を読解したい。テニスンの詩“Break, Break, Break” (1842)および“Tears, Idle Tears” (1845)を補助線として用いつつ、ホイットマンが自作に“finest verbalism”を取り込み、またそれを超克した過程を追うことが議論の中心となる。

演劇・表象

戦後アメリカ美術と「崇高」
――ロバート・ローゼンブラムにおける「抽象的崇高」と「伝統」

星野太(東京大学・院、日本学術振興会DC2)

<発表要旨>
 戦後アメリカの美術批評において、「崇高」という概念が果たした役割は決して小さくない。この語は、抽象表現主義の画家たちを積極的に評価する批評家たちはもちろん、バーネット・ニューマン、ロバート・スミッソンをはじめとするアーティストたちによっても度々用いられたことで知られている。言うまでもなく、美術批評の文脈でこの語が用いられるさいに念頭に置かれていたのは、多くの場合バーク『崇高と美の観念の起源』(1757/59)およびカント『判断力批判』(1790)において論じられた「崇高」概念であるのだが、20世紀後半においてそれらが再び注目を浴びるにいたったのは、カント、バークの両者がいずれもそれを「抽象」と結びつけて論じていたという事実と無関係ではない。
  今日、そのような戦後アメリカ美術における「崇高」の系譜を振り返ってみた場合、間違いなくその中心人物のひとりとして挙げられるのが、美術史家・批評家のロバート・ローゼンブラムである。ローゼンブラムは、「抽象的崇高」(1961)や『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』(1975)において、「抽象的崇高(Abstract Sublime)」という概念を提示し、マーク・ロスコをはじめとする抽象表現主義の絵画を積極的に論じたことで知られている。ところで上記のようなローゼンブラムの著作の背後には、アメリカの戦後美術に「伝統」を付与しようとする身振りが存在している。つまり、ローゼンブラムにとって「崇高」とは、フリードリヒに代表される北方ロマン主義の絵画と、アメリカ戦後美術とのあいだに伏在する(とされる)「伝統」を仮構するために不可欠な概念装置にほかならなかった。本発表では、上記に挙げたローゼンブラムの著作を中心に検討しつつ、戦後アメリカ美術における「崇高」概念と「伝統」をめぐる問題を可能なかぎり詳らかに論じていくことにしたい。

http://www.tokyo-als.org/04_schedule.html

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1月23日(土) 12:30〜
「お台場うみあるき」
参加者募集中! 【参加費無料】
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東京大学公共政策大学院・海洋政策教育研究ユニット
『うみあるきICTプラットフォーム構築プロジェクト』では、
うみあるき実証実験の参加者(親子ペア2名、7組) を募集します。

当日は、お台場周辺の海辺スポット巡回ツアーに参加し、親子で相談しながら、
魅力的な景色・場所や「問題がある」と思ったモノを、携帯電話のカメラで撮影していきます。

夕方には、青函連絡船「羊蹄丸」の上で、
全員の写真をデジタル地球儀で上映しながら、自由に意見を述べ合うワークショップを行います。

参加者のみなさんには、東京大学の記念品を差し上げます。
なお、今回の実証実験で使用する携帯電話は当日貸与(無料)の予定です。

集合時間・場所:
2010年1月23日(土) 12:30 〔17:00終了予定〕
船の科学館1Fロビー (ゆりかもめ船の科学館」駅から徒歩3分)

ご参加いただけます親子ペアを以下のURLで募集中です。ぜひご参加ください!
http://umiaruki.jp/